teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 足あと帳(0)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


既に破折され尽くされた「大御本尊偽作説」

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 6月20日(月)06時06分5秒
  慧妙 2016年6月16日号
富士大石寺明細誌のこともありますね。
まさに「論証なき大御本尊偽作説」である。

hideとやらよ、貴殿のようなド・素人が出る幕ではないといっておく。
 
 

「アンチ日蓮正宗オフィシャルhide」なる者への勝利を宣言する。

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 6月17日(金)17時16分43秒
編集済
  ①さて、当方の6月6日の「富士大石寺明細誌」に於ける反論がアップされているので、覗いてみたが、反論どころではなく、その殆どが過去の珍論の焼き直しであった。全く進歩していないと言っておこう。これは法論以前の問題である。法論というものは、冷静に論理的に一つ一つを精査し、その間違いを指摘するものであるが、相当悔しかったのであろう。興奮いまだ尽きぬ落書きと言っても過言ではあるまい。

また2チャンネルで噂されている評判をアップしたことに対し、激情している様子であるが、とくにこの箇所がお気に召されなかったようだ。笑
http://profile.livedoor.com/hide_akihiko/

フレンド:0人

お気に入り:0人

ファン:0人 (現在は1)笑

だとさ。」

要するにこの御仁は誰からも相手にされていないということである。して、たった一人であるが「オフィシャル」とか「研究会」とか、これは大好きな池田タサク宜しく、小心者が自分をデカク見せるためによく使う手である。笑

さて当方がアップした破折に対し「龍神ひろしのパクリ」などと吠えているが、これは「旧・日蓮正宗立正安国論正義顕揚750年サークル」にて某法華講員が投稿した文章である。それを龍神氏を始め当方がアップしただけのことだ。現在このサークルは閉鎖されており、今はフェイスブックへ全員が移動している。「井の中の蛙 大海を知らず」と言っておこう。
http://www.beach.jp/circleboard/ad28005/topic/1100200449403

②しょっぱなからコヤツ、自分で自分を破折し、自爆しておる!大爆笑
この莫迦者は「日蓮正宗では、板本尊、御影、棟札等々の彫刻者の署名、判形は板本尊、御影、そのものに刻名、彫刻するのであって、別に文書にして残すことなど有り得ない」と随分強調しているが、全くその通りであり、当方が常日頃、習い損なった創価員に繰り返し言っていることである。・・して、それを肯定するのであれば即ち「本門戒壇」と板本尊に彫刻されている本尊は、弘安2年10月12日ご図顕の「本門戒壇の大御本尊」しかないであろうが!戒壇の大御本尊は後世の偽作ではなく、ちゃんと最初から存在していたのである、それをこの莫迦者は自ら証明したのだ。良かったではないか!

従って、お前さんの屁理屈、即ち「戒壇の本尊は日有(上人)の偽作である」ということも、この者自身が否定したのである。

さて、そのことと富士大石寺明細誌と一体何の関係があるのか? 今問題にしていることは「一通之有り」ということである。この文書が有るのか、無いのか?それを論じているのである。呆

③さてこの御仁、当方の破折文書を読んだのであろうか?当方の破折文書をそっくり挙げて反論している割には反論に全くなっていない。やれ日亨上人の「〇〇 △△」「正本を見ず」「転写本の文である」等々、ご丁寧に既に当方が書いていることを、再アップしているような出来損ないである。

また当方の破折によって敗北を感じ始めたのであろう。曰く、『日亨上人は正本を要集に編集された。自分が問題にしているのは「手形の一通之有りの箇所である」』(趣意)と、今までの全体否定から部分否定に話を変えているではないか。笑

この部分否定に関し当方は既に、このように指摘している。

「では日亨上人が仰せのとおり、〇の箇所を削除して下のように訂正しようではないか。

「…日法右板本尊並に此像を作り奉り称美の為に有職を彫尅阿闍梨と賜ふ、又此御影像日法作る所に相違無きの条一通之有り」

何てことはない、「相違無きの条一通之有り」となるではないか!これは日法師が後世の輩が疑難することが無いよう、本門戒壇の大御本尊を彫刻した旨の「日法師の証文が一通確かに存在する」ということである。そしてこの条項の通りhideをはじめとする輩が本門戒壇の大御本尊に疑義を投じているのが現在である。誹謗する輩どもは江戸時代も現在も、その疑難の内容は全く同じということだ」

この出来損ないは、ただ悔し紛れに吠えている「負け犬の遠吠え」だけである。見苦しいゾ!

そして「正本を編集した」と言いながら、今度は「正文があるなら全文を出してみろ!」と詭弁を放ち逃げているが、この件に関しても当方は既にアップしている。

以下、忘れたか?。

『②なぜ日亨上人は正本を要集に掲載されなかったのか?

このなぞは、まず、大聖人御自身が本門戒壇の大御本尊のことを、直接的には御書にお書き遊ばれなかった、また日法師の一通のことに関してもお書き遊ばれなかった。そして富士大石寺明細誌の末筆(要集351p)には、

「其餘は書写を堅く之を禁ず他門に散在するを怖る敢悋惜に非ず」

「即尊命に云く深信の者に於て之を拝見せしむべしと・・・是即秘して之を伝ふべき」

とのことから正本ではなく写本を掲載されたと拝察するのであります。』

宜しいか!日亨上人でさへ正本は出されず、写本を以て要集に記載されているのである。日量上人は身延の僧侶でもなければ、顕本法華宗の僧侶でもない。日蓮正宗の第48世法主・猊下である!日量上人が顕されたことは、「富士年表」にも、また破門後に発行された創価学会の「仏教哲学大辞典」でさえちゃんと掲載されているのです。正本は富士大石寺に厳護されていることは当然と考えるのがものの道理である。

そんなに正本が見たければ△△を修正し、〇〇を伏字にして読めばよい。それが正本であろうよ。笑
可哀そうだが、この莫迦は既に頭が七つに割れているとまでは言わないが、少なくとも九つには割れているであろう。

④アンチ日蓮正宗オフィシャルhideなる者に止めをさす。
これも既に6月6日の破折文書に於いて述べたものであるが、そもそも富士大石寺明細誌がニセ文書であるなら、「霑志問答(別名両山問答・北山問答)」は当初から起こらなかったのである。クレームを付けてきた北山の玉野日志に対し、日布上人が「富士大石寺明細誌なるものは在家の信徒が勝手に作成したものであり、日量上人の文書ではない」と言えばそれで済んだのである。

霑志問答そのものが富士大石寺明細誌の存在を証明しているのである。
そして日志の50条のクレーム事項は、この莫迦者の主張、即ち「日興跡条々事」「本門寺寺号」「三堂棟札」「大御本尊についての疑難」等々に関し、日布上人及び日霑上人は完璧に破折され、日志はついに、

「意も尽き語も絶しぬれば自今数多の駁言(ばくげん)を賜はるも、其の愚意に徹し謝すべきにあらば謝書を呈し」云々との弁解を日霑上人に送り、「失義多罪、御海容是れ祈る」として、第五五世・日布上人に陳謝するに至ったのである。

以上であるが、この莫迦者が「一通之有り」を否定しきれなかったということは、本門戒壇の大御本尊は紛れもなく、日蓮大聖人が出世の本懐として弘安2年10月12日にご図顕された証明書が、日法師によって一通あるということである。これが意味することは、この莫迦者を始めとするその他、創価員、犀角独歩等、同類の輩も含め、彼らの日蓮正宗の誹謗記事はチリも残さず、全て崩壊したという意味がある。


よって当方の勝利を宣言する。
2016年6月7日
黒川和雄@日蓮正宗法華講

追伸
「三大秘法の中心は本尊、戒壇ではなく南無妙法蓮華経の題目である」
「日目上人の墓は京都にあり、日郷師が4回その土地を買収している」
これを破折する。こうご期待を!
 

アンチ日蓮正宗オフィシャルのhideなるものの邪難を破す。 龍神ひろしを斬る(91)~洗脳法華講員の反論は身延山で極貧

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 6月12日(日)15時52分43秒
  アンチ日蓮正宗オフィシャルのhideなるものの邪難を破す。
龍神ひろしを斬る(91)~洗脳法華講員の反論は身延山で極貧生活をしていた日蓮が金を入手した証明になっていない
=============================================

破折

宗祖の御書に書かれた供養のうち、銭(ぜに)に関しては、二十数人から「百六十数貫」にのぼっており、昭和51年当時で一千万円を超える莫大な金額となっている。(聖教新書32『御書に見る鎌倉時代・167頁』)


真書が滅した御書も相当数あるからおそらくこの倍近い金額が具わっていたと考えられる。当時のカネは日本で鋳造されたものではなく「宋銭」、つまり中国の貨幣が信用され、使用されていた。
昭和三十二年、大石寺の大講堂を新築するさい、木箱に詰められた古銭が二千枚ほど発掘された。明治初年まで「遠信坊」のあったところだが、この場所こそ、日興上人が大石ヶ原に建立した大坊(六壺)が建立された場所であったと推定されている。

古銭の種類としては、大聖人の時代に使用された「北宋銭」や足利時代に流通した「唐銭」が混入しており、大聖人・日興上人の御遺物に歴代の上人が広布の日に備えて蓄えられたものが、大事にされすぎて手つかずになったものと推察される。

分量の基準を云えば、日本酒の標準的な容器(一升瓶)が約1800ミリリットル。その10分の1が1合、10倍が一斗、さらに10斗を「一石」である。つまり、よく御書にある米一石とは、一升瓶に米を入れて百本分という分量となる。米一石が銭一貫文で、現在に換算すると約10万円くらいである。 宗祖の信者はけっこうな量の御供養をしていたものです。(笑)、

しかし、この時代(鎌倉時代)から江戸時代にかけて米は主食ではないことをしっかり覚えておくべきである。ましてや宗祖のような出家が米の飯を食するということは特別な行事や法要のめでたい時くらいで、米はハレの食事だったのである。(網野善彦『日本史の虚像のゆくえ』大和書房)
江戸時代もそうだが、米は主に貨幣の替わりに流通していたもので、よほど豊作で余剰米が出ないかぎり一般庶民には特別な行事(法事・祭事)のさいに食するものであった。故に御書に書かれた「米」の量は他の雑穀に替えられたと考えてよく、食料そのものの蓄えはけっこうな量にのぼると思われる。

米に限らず、宗祖は集積していた「塩」を銭や必需品に交換している。『上野殿御返事』に、「七月なんどはしほ(塩)一升を銭百、しほ五合を麦一斗にかへ候しが、今はぜんたい(全体)しほ(塩)なし」とある。宗祖は精進料理なので調味料は使用しないので寄進された塩などは他の物品に交換していたものである。

現在でも大石寺の食事に調味料は使わない精進料理である。つまり、宗祖は使用しない物産は、銭や雑穀に転換していたのである。若い人たちは「イナキビご飯」は食べたことはないと思うが、雑穀でも暖かいうちはオコワのように美味しいものである。が、冷えたら喉に砂が流れるような違和感がある。(笑)、
創賊の徒輩が、宗祖の生活は貧しく材木や金箔、高価な漆などは入手困難であったとするのは、脳の分量が平均値を下まわる連中の乏しい発想である。謗法は、勝手に条件を作り上げて、それにはまらないからウソであるとの虚言を作り上げるものだ。(笑)、

漆については、宗祖の時代にはすでに「鎌倉彫り」があり、宋から禅僧が招かれると同時に入ってきた技術のようである。漆は湿度や保存環境などで扱いが難しいものだが、秋元書(筒器御書)に漆器が供養されたことが書かれているので、高級品ではあるが特別な技術者のものではなかったものと思われる。

宗祖は漆について、妙観講発刊の「御書索引」では十箇所が挙げられている。黒い漆に白粉を混ぜれば白くなるとか、うるし千杯に蟹の足ひとつ、の御書があるが、蟹の足というのは漆のかぶれには特効薬のようで、たんぱく質のなにかの成文がウルシオールを中和させる効能があるのかもしれない。

「鎌倉彫り」も当初は厚く塗った漆を削ったものを、材料の木を彫刻して漆は塗料として使われたものが現在も行われている「鎌倉彫り」である。本門戒壇の大御本尊も、原理としてはこの鎌倉彫と同じ手法で彫られている。

鎌倉時代は「鎌倉新仏教」のみならず、彫刻(仏像)についても革新的な技術が開発されたようで、寄せ木細工は現在の集積材の基本的な発想と思われる。詳しくは以下のサイトを参照されたし。
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/butu-kamakura.htm

このサイトには面白い事実が述べられている。

【引用】「「鎌倉大仏」は南都の影響で造営されましたが、像の金メッキは大変な手間と費用を要するので簡便な技法で仕上げました。その技法とは像に漆を接着剤として金箔を押しました。この技法だと天平時代の金メッキ(アマルガムメッキ)の際発生する水銀中毒による、皮膚障害、呼吸器障害の被害がなくなる利点がありました。」

【引用】「余談ですがイタリアのマルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で、我が国を「黄金の島ジパング」と紹介したのは、外国では近隣諸国から何時侵略を受けるか分からないので、常に持って逃げれるよう土地ではなく金の地金で保持いたしましたが、我が国では侵略される心配が殆ど無いため、土地を保持して金は消費に回しました。それゆえ、金を利用した漆箔、螺鈿、切金文様、蒔絵装飾の美術工芸品などが多かったので、黄金の島ジパングと勘違いしたためでしょうか?

已上、我が国に於ては〝金は消費物品〟であり、現在の思考で捉えると必ず失敗するという好例であろう。さらに、金が幕府の管理下に入るのは江戸時代からで、鎌倉時代には奥州に金細工の職人(しきにん)が居たことから比較的ひろく流通していたものである。

この職人(しきにん)というのは、天皇家の家屋、祭器、仏器、調度品、楽器、香華、芸能、仏像彫刻、等の設備において奉仕するかわりに天下の自由往来を認められた集団で、各地を移動しながら商売をしていた技術者である。この中には仏師・画工も多く各地を歩いては地方の寺院の本尊・仏像の修理・製作を請け負っていた。

金箔というのは、約一グラム程度の金を打ち伸ばして90センチメートルくらいにまで伸ばしていわばアルミホイルを作るようなもので、日本酒などに入っている金箔は厚さがミクロン単位の微少なもので、つまり、御本尊のコストとしては一グラム程度の金があれば、あとは漆の生乾き状態のときに、文字のぶんだけ金箔を貼り付ければよく、案外にコストはかからないのである。


以上
 

【大聖人の御肉牙に関しての北山の日志の疑問】

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 6月10日(金)18時28分13秒
  要集7巻47p

北山の日志君曰く、

「御生骨と称する御歯を大聖人は抜き、日興上人に賜うと富士大石寺明細誌に書いていますが、家中抄には「日目上人に授け云々」と書かれている。

また、大聖人の歯を肉片ごと抜くとは大聖人は、らい病患者であったのか?」との疑難です。
現在の創価員を始めとする阿呆諸氏のイチャモンとそっくりですね!

これらの邪難は既に日布上人・日霑上人によって破られています。

北山の日志曰く、
「意も尽き語も絶しぬれば自今数多の駁言(ばくげん)を賜はるも、其の愚意に徹し謝すべきにあらば謝書を呈し」云々との弁解を日霑上人に送り、「失義多罪、御海容是れ祈る」として、第五五世・日布上人に陳謝するに至ったのであります。

 

hideとやらの実像 反論期日は6月16日

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 6月 9日(木)13時54分55秒
編集済
  本日hideとやから当方のスマホに電話が入りました。

これは当方が氏にメールを出し「6月16日までに反論できぬ場合は、当方の勝利とする」旨の一通を送付したことへの回答であろう。

曰く、
「ぶざけんな~、この野郎! テメ~俺のブログ読んだのか~~、ふざけんな~、この野郎!」
というのが回答でした。

やはり世間の噂通り、大根役者の成れの果てで、相当興奮状態でした。笑

所詮ネットの裏で「匿名」で暗躍・徘徊する「ドブネズミ・ゴキブリ程度の人物」と言っても過言ではないでしょう。

ま、1週間の猶予を上げたので、もう少し冷静になられ反論されることを望む。

以上

 

「富士大石寺明細誌」に於ける創価学会員の妄想を斬る。

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 6月 6日(月)18時23分26秒
  富士大石寺明細誌
日蓮正宗第四八世日量上人御作
1、弘安二年十月十二日又はその前後一ヶ月でもよい。日蓮正宗大石寺において「本門戒壇の大御本尊」と呼称する板本尊の「全相貌」を、身延山で日蓮大聖人が認めたという証明。

「日法右板本尊並に此像を作り奉り称美の為に有職を彫尅阿闍梨と賜ふ、又此御影像日法作る所に相違無きの条自筆の手形一通之有り」(富士大石寺明細誌 )

要約
日法師が板本尊・御影像を彫刻し、これを称賛するために、現職に彫尅阿闍梨を大聖人から頂いた。また御影像を彫刻した旨の手形(書状)これ有り」

日量上人はその手形をご覧遊ばされている。以上、富士大石寺明細誌に明らかである。

2、その板本尊を弟子の日法が彫刻したという証明。

同上、富士大石寺明細誌に明らかである。

3、弘安二年十月十二日又はその前後一ヶ月でもよい。板本尊造立に日蓮大聖人が関わったという証明。日蓮大聖人が本尊を木製にせよと指示された証拠、彫刻中の日法に指南をされた証拠等々、何でもよい、一つでも出すべし。

同上、富士大石寺明細誌に明らかである。

4、その板本尊を日蓮大聖人が「出世の本懐」と意義付けた直接の証拠。

件の疑難、既に諸氏が破折しており、すでに崩壊しておる。

「日蓮一期弘法白蓮阿闍梨日興付属之可為本門弘通大導師也国主被立此法者富士山本門寺戒壇可被建立也可待時而已事戒法謂是也」

「日興身に宛て賜る所の弘安二年大御本尊日目に之を授与し本門寺に掛け奉るべきなり」

5、その板本尊を広宣流布の時に「本門寺の戒壇に安置する御本尊」と、日蓮大聖人自身が意義付けた証拠。

弘安二年十月十二日の大御本尊の脇書に「本門戒壇」と大聖人が認めておられること明白である。



6、日蓮大聖人がその板本尊以外の本尊を「一機一縁」と意義付けた、称した証拠。

大聖人御図顕の多々なる本尊のうち、「本門戒壇」と有るのは弘安二年十月十二日の戒壇の大御本尊のみであることから明らかである。


7、日蓮大聖人が「文永、建治、弘安期の御本尊には、年代に応じて差異がある」と指南した証拠。後代の人物の説法ではない。日蓮大聖人自身の教示を。

薄脳の極めである。大聖人御図顕の本尊には、「二千二百二十余年」、「二千二百三十余年」の両方が存在する。大御本尊は「二千二百二十余年」であるが、それを以て大御本尊偽作説にはならぬ。
既に文証が存在する。

「日法右板本尊並に此像を作り奉り称美の為に有職を彫尅阿闍梨と賜ふ、又此御影像日法作る所に相違無きの条自筆の手形一通之有り」(富士大石寺明細誌)



8、日蓮大聖人が「曼荼羅本尊には様々な意義付けというものがあり、自身が図顕した中でも特定の一つの曼荼羅本尊だけが特別である」とした証拠。

大聖人「三大秘法抄】に曰く、

「戒壇とは王法仏法に冥し仏法王法に合し王臣一同三秘密法持時、勅宣並御教書申下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇建立すべき者か、時を待つべきのみ事戒法申是なり、三国並一閻浮提人懴悔滅罪戒法なるのみならず、大梵天王帝釈等来下して踏み給うべき戒壇なり」

「王仏冥合」、即ち全世界の人々が信じ奉る「本門戒壇」に御安置申し上げる本尊は、弘安二年十月十二日の大御本尊以外にはあるまい。

9、日蓮大聖人が「本尊に関する権能を唯授一人で血脈相承」をした証拠。

「代々の聖人悉く日蓮と申す意なり」(御本尊七箇之相承)
「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり」(本因妙抄)
その他の御書、及び歴代猊下の御指南多々あり。

10、「本門戒壇の大御本尊」という、当たり前のように思っていた呼称表現は、いつ、どこで誰が言い出したのか?

日蓮大聖人が仰せである、「本門戒壇」と。

11、「本門戒壇の大御本尊は日蓮大聖人の出世の本懐である」とは、いつ、どこで、誰が言い出したのか?

大聖人が仰せである。

「南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三 十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七 年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(聖人御難事)

12、大石寺貫主の唯授一人血脈相承による仏法継承・令法久住の根拠である「大聖人が日興上人に授与されたという二箇相承書」は、いつ、どこで、誰が言い出したのか?
その書が日蓮真筆である証拠は?

単なる言いがかりの極めであり、捨て置く。写本多々あり。

以上、
 

日蓮正宗第48世・日量上人述作「富士大石寺明細誌」における「アンチ日蓮正宗オフィシャルhide」なる三文学者の妄想を斬る

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 6月 6日(月)00時57分22秒
編集済
  日蓮正宗を誹謗する者の常として、何としても本門戒壇の大御本尊を否定したがるものである。ここでは主に「アンチ日蓮正宗オフィシャル」なるブログで暗躍しているhideなる者を破折するが、これは創価学会の者どもを始め、犀角独歩、またその他の莫迦者にも共通するものであるから、全てまとめて破折する。

余談ではあるが、このhideなる人物をよく知っている方の話によると、現在大根役者を廃業。姓は「英」、無宗教と言いながら池上本門寺に初詣でに行くということだ。またブログに自分の携帯番号を載せており、電話で破折すると反論不能となり、逃げ回っているというのが現状だそうだ。

さて「富士大石寺明細誌」とは、大石寺の第四八世・日量上人が文政六年(1822)5月に書かれた書であり、大石寺の堂宇、寺領の面積、大御本尊の寸法、所蔵御本尊のリスト等を始めとする、あらゆる重宝の明細を書かれたもので、原文には文書の名前は付けられていない。

前置きが長くなったが、本論に戻る。

①まず、hideなる者は自身のブログに於いてこのように言い放っている。

「龍神ひろしを斬る(57)~「冨士大石寺明細誌」の文は「戒壇大本尊」日法彫刻の証明ではない」
「尚、上記で龍神ひろしの妄説の元ネタであるサイト
http://dakkai.org/nippou.html
これは、「アンチ日蓮正宗」が完全論破したことで、あっという間に閉鎖し逃亡するという、ぶざまな醜態を晒している。よって「アンチ日蓮正宗」の勝利であることは明らかである。」と当方がブログに挙げた文章を削除したことに対し、まるで鬼の首でも取ったかのように書いているが、何てことはない。当方はブログを削除し、U-tubeにアップしたまでである。
https://youtu.be/_T_uBI3pe88

さて、この莫迦者の偽書とする根拠であるが、

「…日法右板本尊並に此像を作り奉り称美の為に有職を彫尅阿闍梨と賜ふ、又此御影像日法作る所に相違無きの条※自筆の手形※一通之有り」日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』5巻p334~335)

これを「全くのデタラメ」としているのである。その根拠とは「自筆の手形」の五文字には〇があり、明細誌の末尾に、日亨上人は、 「全然誤謬に属する所には傍らに〇〇点を附し、疑義に属する分には△△点を施して・・」と書かれているのが「唯一の根拠」だそうだ!

では日亨上人が仰せのとおり、〇の箇所を削除して下のように訂正しようではないか。

「…日法右板本尊並に此像を作り奉り称美の為に有職を彫尅阿闍梨と賜ふ、又此御影像日法作る所に相違無きの条一通之有り」

何てことはない、「相違無きの条一通之有り」となるではないか!これは日法師が後世の輩が疑難することが無いよう、本門戒壇の大御本尊を彫刻した旨の「日法師の証文が一通確かに存在する」ということである。そしてこの条項の通りhideをはじめとする輩が本門戒壇の大御本尊に疑義を投じているのが現在である。誹謗する輩どもは江戸時代も現在も、その疑難の内容は全く同じということだ。

②要集に掲載されている「富士大石寺明細誌」とはいかなるものなのか?
まず、要集第5巻319Pの冒頭一番右上にはこう書かれています。「原本入文ニ題号ナシ今仮ニ此オ立ツ」(画像1参照)
http://6831.teacup.com/fujimeisaishi123/bbs/3

これは明らかに日亨上人が原本を御覧遊ばされたという証明です。

原本には「富士大石寺明細誌」また別名「宝冊」なる名称はないと仰せであります。

また最後の文章には「編者曰く量師の正本を見ず」(要集351p)と書かれており、「誤字多けれども強いては改めず」とあります。

(画像2参照)
http://6831.teacup.com/fujimeisaishi123/bbs/3

即ち日亨上人は資料収集に当り「写本」を富士宗学要集に載せられたということが分かってくるのです。

この写本は、

「文政六年之を述作す。法嫡第四八世久遠阿闍梨本寿院日量在御判」(要集350p)

で終了しており、写本された方は、

「文政第七歳正月一八日、法竜仏眼に於て謹んでこれを書す」(要集351P)

と結ばれています。

即ちこの写本は日量上人が、文政六年に富士大石寺明細誌を述作された一年後の、文政七年に於いて書写されたということであります。

そしてこの写本に関して要集を編集された日亨上人は、「誤謬に属する所には傍に○○点を付し、疑義に属する分には△△点を施して」(画像2)と写本の間違い箇所を指摘されたのであります。
これを持って莫迦は、「ホラホラ、日亨上人も富士大石寺明細誌は偽書だ~!」と大騒ぎしているのです。
http://6831.teacup.com/fujimeisaishi123/bbs/4

ではなぜこれほどまでもに富士大石寺明細誌を偽書としたいのでしょうか? 答えは明らかです。この文書には、日法師が『本門戒壇の大御本尊を彫刻し、その余った木片で大聖人の御影と称す最初仏を作ったと書かれており、その証明として日法師が「一通之有り」と書かれた明らかなる文証が大石寺に存在するからです。(要集334p)

②なぜ日亨上人は正本を要集に掲載されなかったのか?

このなぞは、まず、大聖人御自身が本門戒壇の大御本尊のことを、直接的には御書にお書き遊ばれなかった、また日法師の一通のことに関してもお書き遊ばれなかった。そして富士大石寺明細誌の末筆(要集351p)には、

「其餘は書写を堅く之を禁ず他門に散在するを怖る敢悋惜に非ず」

「即尊命に云く深信の者に於て之を拝見せしむべしと・・・是即秘して之を伝ふべき」

とのことから正本ではなく写本を掲載されたと拝察するのであります。

③創価学会発行・大白蓮華第六七号 15pの記述に関して(画像3)

〇日量上人は続家中抄と富士大石寺明細誌をお書きになったのですね。

堀上人 そうです。

〇その明細誌のことを宝冊というのですね。

ここでちゃんと日亨上人が「明細誌は日量上人の御述作である」ことを言われています。

さて創価員が問題にしている日亨上人の発言はそのあとに言われる次の話である。

堀上人 ええ、あれは明細誌に序文を書いた人がいるんじゃ。その人が明細誌をほめちぎって、宝冊、即ち立派な宝の文というようにいったんです。それで宝冊ていう名前になった。この人はすごく純信な人でね。学者じゃないんですよ。(中略)あの時分はですね、まちがったことなんかも平気だったんですね。(中略)ダメです。もうひどく立派なことが間違っている。それで明細誌が北山問答にとりあげられてね・・・」云々。

どうであろうか? スラっと読み流すと、まるで日亨上人が明細誌を「ダメ」と言われているように勘違いしてしまいますね。これはよく読みますと「あれは明細誌に序文を書いた人がいるんじゃ」「この人はすごく純信な人でね。学者じゃないんですよ」とあります。

このことは当時、日量上人がお書き遊ばされた正本ではなく、在家の信徒が序文を書き内外に散在していたということが分かるのです。してこの内容を北山の日志が問題視して50か条の疑難を突き付けてきて、明治12年(1879年)に第52世・日霑上人と北山の日志との間で「霑志問答(北山問答)(両山問答)」(画像4)が起こったということである。
http://6831.teacup.com/fujimeisaishi123/bbs/5

その疑難とは、「本門戒壇の大御本尊、日蓮大聖人の御影(最初仏)、御肉牙(ご生骨)、大聖人御身骨、大聖人画像(鏡の御影)等々に訝しい点が多々存在する」というものでありました。

今の異流儀の者や創価員の疑難と全く同じではないか!!これらの疑難は日霑上人によって完全に破折され、ついに北山の日志は「意も尽き語も絶しぬれば自今数多の駁言(ばくげん)を賜はるも、其の愚意に徹し謝すべきにあらば謝書を呈し」云々との弁解を日霑上人に送り、「失義多罪、御海容是れ祈る」として、第五五世・日布上人に陳謝するに至ったのであります。

尚、このような問答が起こったということは、逆に言えば富士大石寺明細誌は日量上人の御述作であることを、これまた証明しているのであります。偽書であれば、そもそもこのような問答は最初からなかったのである。

③年表(画像5参照)http://6831.teacup.com/fujimeisaishi123/bbs/6

a)富士大石寺明細誌は、宗務院発行の「富士年表」329pにも記されている。
b)創価学会発行の「仏教哲学大辞典(2000年発行)の1417Pにも記されている。

創価の者どもが疑難を呈する必要などは何もない。

要するにいつものことながら、hideなる三文学者を始めとし、日蓮正宗を批判する輩は、所詮、勝手に条件を作り上げて、それに当てはまらないと、ウソであるとの虚言を作り上げているだけの莫迦者ということである。

以上、簡単に破折させて頂きました。

2016年6月6日

黒川 和雄@日蓮正宗信徒

 

資料 年表

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 6月 5日(日)23時56分41秒
  画像5 日蓮正宗宗務院発行・富士年表
    創価学会発行・仏教哲学大辞典表紙
 

資料編

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 6月 5日(日)06時33分47秒
  画像4  

資料編

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 6月 5日(日)06時31分51秒
  画像3  

レンタル掲示板
/2